刺され損ねた。

童貞の恋人が右手であるように、メンヘラの恋人もまた、右手なのである。

鍋に焦げ付いたとれない君の

わたしはずるい人間だ。昔からそうだった。
なんでも母親にきめられた。そのとおりに動けばほめられた。そうして、あんたは育てやすい子だといわれた。その前後になにがあろうと、その時に喜ばれるじぶんがたいへん誇らしかった。だからわたしは今もそうする。ほめられなくとも、ほめられたい。でも今はそれだけじゃない。だれかにきめられないと、きめてもらわないと、動けない。動きたくないのだ。だってそうやってきめてもらえれば、失敗したときに相手の、ひとのせいにできるのだ。なんでもそうだ、なんでも、ひとのせいにできる確信がないと動けない。大人になるとは、成長とは、そういうことではないのか、ないとしても、わたしはそうだと思っているし、わたしとはそういう人間なんだろう。
わたしはずるい人間だ。昔からそうだった。
でもだからといって、成功をしたとき感謝はしない。「あなたのおかげよ」なんて、口ばっかり。ほんとうは、なべの底のほうでは、じぶんがかわいくってたまらないのだ。
ごめんね、まま。何でもあなたのせいにする。なんでもひとのせいにする。わたしはずるい人間だ。たぶん明日もそうなんだ。