刺され損ねた。

童貞の恋人が右手であるように、メンヘラの恋人もまた、右手なのである。

然もあらばあれ

ブログでくらいはヘラヘラおちゃらけていようとも思いましたが、根が明るくないので続きませんでした。

先日、ストレスから逃れたい一心で、職安で住み込みの求人を探してきました。

正直なめていました。やっぱりこんな生半可な気持ちで行く場所ではないですね。私のような気持ちが迷子の人間は真面目に探してる人に対して失礼です、
ハロワの壁は高かった。


条件にあう所は見つけたのですが、決断するのが怖いです。
まだ面接もしていないのですが、もし受かったとしても、そこがいい職場だったらと考えたらそれだけで怖い。


毒親育ちの私は、誇らしげに親の自慢をする優しい先輩に対し、腹の底でぐつぐつ妬むと思います。
貧乏な家で産まれた私は、親の金で進学した優しい先輩に対し、ぐちぐち静かに舌打ちをすると思います。


すぐに比べたがる。
自分の不幸や辛さ、苦しさ劣等感を測るために人を利用し比較ばかりする自分がいやだ。

慣れてないことはしたくない。幸せになったら、今より需要がなくなると思う。親のサンドバッグになって、いつまでも文句を言って甘えていたい。

楽しい職場で働いただけで治るものだとは思っていないけど、障害が完治したら、病気じゃなくなったらと思うと怖い。


私は正直、自分に甘えているし酔っている。コンプレックスの塊だから、それくらいしか酔えるものがない。


人間は個性を主張する生き物だと思う。

私は成長過程に問題があるから、私を見て欲しくて、このまま苦しさに甘えていたくてもがいている。


幸せになったらどうしていいのかわからなくなるだろうし、保てなくなって、そこから落ちていくのが怖い。

だったらサンドバッグとしてでもいいから私を見ていて欲しいし、苦しさの中で自分と馴れ合っていたい。


歪な考え方だけど、それが私の主張する『個性』なんじゃないかと思うわけです。
個性なんだから何でも有りなんです。


例えどんないい所で働けたとしても、このままだと、自分が自分としての優位でいるために粗探しばかりしてしまう。

いつでもそうして来たから仕事も続かないし、友達もできない。


働かなきゃダメかなぁ(甘え)。