刺され損ねた。

童貞の恋人が右手であるように、メンヘラの恋人もまた、右手なのである。

好きが最後か始まりか

やはり、自分を理解してくれる また、理解しようとしてくれる そういう人は大切だと思うし、大切にしなくてはならないと私は思う。さらに言えばそれに漬け込まず、たとえ誰かが理解してくれたとしても、常人から外れていると自分でもわかっているのなら、治すべきだし、治せなくても、努力すべきだと私は思う。

節目、節目に自分を変えて、その人だったり、その環境にあわせようとしそのためなら古い自分は消していく。見たくない認めたくないそんなものは捨てる。

この人ならどんな過去も受け入れてもらえるのにわかっていながらも怯えてしまって、よくないことだとわかっていながらも、結局嫌われるのが怖くてたまらないから捨てられるのが怖くてたまらないから自分を捨てる。
信じているし信じてもらえているのに、どこかで信じていないのは私の方でしかない。